老和尚の車

朝起きて、開眼一番に目の前に広がる光景。

決まっていつも同じ光景。

ハコバン車内、右前方、運転席からの視点。

日本海沿いを北上。

どこか遠い見たこともない寂れた港町を流している。(カッコよく言うとこうなる。)

窓を開けると潮風と焚き火の香り。

時間は夕刻。

生活の気配はあるのに人の気配が全く無い。

「あっこにある山の向こうへゆこう。」

指差す先にある、陽が沈んだ後の逆光大山脈。

駈けても駈けても一向に近づかない黒光りの山の野郎。

距離を縮めようとアクセルを踏み込んだところで我に返る。

朝起きれば必ずこの一連の流れで物語が進行する。

小学生の頃から。

最近、この現象に「侘び寂び妄想」と名付けた。

由来はどことなく寂しい感じだから。

睡眠時に夢をみることはサボりがちのくせに、朝起きれば毎日欠かさず「侘び寂び妄想」。

寒中水泳の日だろうと高校入試の日だろうとそんなことは関係ない。

あれよあれよという間に20年の歳月が経った。

その間も「侘び寂び妄想」は毎日欠かさず発動し、内容に変化の兆しは無い。

この一連の現象について、知人に「悩み相談」と称し、相談の真似事をしたこともあるが、

「よくも飽きずに毎日同じことが出来るな。暇なのか。」と相手にもされなかった。

相談する相手を間違えた。

意識的に妄想をやめることは出来ないし、シチュエーションを変えることなど不可能なのだ。

あたりまえのことであって、これが起きない一日など到底考えられないのだ。

起床時の生理現象である。

もはや私にとって朝勃ちとなんら変わらないのであろう。

そうは言ってもこれは普通の状態ではないのだろう。

何をもって普通というかはこの際置いておく。

異常なのかな?

現状死守で楽しんでいる自分と、謎を解き明かしたい自分が脳内大戦を繰り広げている。

日本海側を北上する旅に出れば何か手がかりがつかめそうだ。